まちづくりのプロデューサー

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30代の私は、やりたかった「まちづくり」の仕事をやり始めます。普通30才そこそこのペイペイが「まちづくりやりたいでーす」って言っても、キャリアゼロだから誰も相手にしてもらえないと思う。だけどラッキーにも大学時代の先輩達がみんな動いてくれて、仕事くれるのよ。塩釜の浦戸諸島の活性化事業「さわやか浦戸プロジェクト」、塩釜「遊ホール」開館記念企画事業、大和町の「まほろばホール」開館記念事業、多賀城市の福祉祭り。みんなみんな大学のサークルの先輩からの仕事依頼。ありがたいねぇ〜。みんな人と人のつながりで生かされた感じだった。現代では「ペイペイ」は支払い方法だが、30代の私は本物の「ペイペイ」でした。

ハート&アート空間 ビーアイ

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アトリエの内容が面白いって話題になり、私どんちゃんを半年間追っかけての「親の目・子の目」っていう文科省制作の教育番組で全国放送(30分番組)されました。それ以降全国から視察に来る方々がたくさんいました。絵を描くだけの子どもの習い事はあっても、美術を通して「自分作り」をしているところはどこにもかったからね。

ハート&アート空間 ビーアイ

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30代の私、西公園の前に「ビーアイ」というアトリエを作った。「ビーアイ=自分であれ」、当時代表をお願いしていた関口さんと志賀ちゃんと私と3人で設立した。そこに宮教大卒業したてのリカちゃんと、宮城生協の企画をやっていたラーメンちゃんを加えて、あっ、フナッキーというスタッフもいたなぁ〜6人でやっていた。はっきり言って大人気、ワンフロアーなのに400人も会員がいたのよ。写真はビーアイというアトリエだから「アイアイパーティ」、まぁ「楽々パーティー」みたいなものよ。

コンピューターグラフィック

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働きだしてしばらくして取締役から呼ばれた「ウチはコンピューターグラフィックに大きく梶を取る、日本で初めてのCG専門学校を東京渋谷・青山につくることとにした、ついては新田くん、君の力が必要だ!」と言うのだ。まだ日本に「CG」という言葉がなかった時代の話。「アメリカではステーブジョブズ(私と同い年、20才でアップルを作った)という若者がアップルという会社を作ったが、我々はそのアップルのさらに上のメロンという名前の学校を作る」嘘みたいな本当の話なのである。今日のブログの写真は東京中の駅という駅に貼り巡らした駅貼りポスター、コンピューターで描いたマントヒヒは当時大きな話題になった。私は仙台で子ども達とアトリエをやりながら東京でも仕事をすることになった。NHKの大河ドラマのタイトルバック制作とかいろいろやった。ある時アメリカのCGの第一人者が声をかけてきた「ミスターニッタ、ハイテクの次の時代はなんだと思う?」私は「スーパーハイテクの時代」って答えたのだか、彼は違うと言うのだ「アメリカは4分の1が精神科にお世話になっている、ハイテクの時代が進めば世界中がみんな精神的に参ってしまう、ハイテクの時代の次にはハイタッチ(ふれあい)の時代が絶対に来るよ」とニッコリ笑いながら言うのだ。私どんちゃん的には腹の中にストンと落ちたような大きく重い言葉だった。働き出して9年目の年、最先端の現場から離れ自分なりの「ハイタッチ」(ふれあい)の仕事を創出しようと決心して、ACC藝術学院・TBC子どもアトリエを辞めた。

出会いが面白い。

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今日のブログの写真は「ACC藝術学院」のパンフレット。今見てもオシャレだよねぇ〜、私どんちゃんがクリエイティブディレクター、デザインは矢野 正(現在は矢野TEAとして活躍)。矢野さんとは同世代なこともありよく気が合いよく一緒にお酒も飲んだ。矢野さんは大崎市・岩出山の「感覚ミュージアム」の構想に関わり初代館長になった方。そのあとガーデンデザイナーとして活動を開始し、なんとあのイギリスで開催される造園の最高峰のステージとされているチェルシーフラワーショウにて最優秀ガーデン賞を受賞している。今では世界をまたにかけて仕事をしているのだが、私と出会った頃のエピソードは、ある日お酒を飲んでいて「ボクは空を飛べる!」って確信したそうで、ビルの3階から飛んでみたんだって。その話を足にギブスをしてニコニコしなからするんだから、やっぱ翔んでるわけよ。私も当時、時々飛べるって思うことがあったのだが、矢野さんのギブスを思い出してはやめていた。仕事を始めてプロの美術家の方々やカメラマン、そして矢野さんのようなデザイナーの方々と出会い一緒に仕事をさせていただいた経験が大きな糧となった。社会に出ようとしている若者達に言いたい『「出会い力」を身に付けて!』。

お笑いの仕事に来ませんか?

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働きだして1年〜3年たち、お笑いの仕事のオファーがたくさんくるようになりました。えっ!なんでなんでって思いでしょうが、実は七転八倒していた大学留年の2年間、劇団四季の子どもミュージカルやろうかなぁ〜って劇団四季アカデミーを受験しに行ったり、お笑いもいいなぁ〜っていろんなところでやってたりしていたのですよ。そんでもって、私どんちゃんと後輩の2人でやっていた野球の形態模写が有名なお笑いのプロデューサーの目に止まり「君達凄いよ、絶対売れるから東京に出てきなさい」とか言われていたのですよ。時は40年前、第一次漫才ブームのど真ん中、当時「花王名人劇場」というお笑い番組があって、その収録があるので国立演芸場まで来て下さいって話だったのよ。なんとその日、ツービートっていう漫才コンビをやっていた「たけし」と、当時大阪で全く売れない落語家だった「さんま」と、共演することになったのでした。ちなみに私達の芸名は「ミスタープロ野球」。その他にもいろいろやったけど、本格的にはお笑いの世界には行かなかった。結局は子どもの魅力に勝てなかったんだなぁ〜。

TBC(東北放送)子どもアトリエ

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これは40年前の作品展、会場はもちろん宮城県美術館。私は23才から仕事を始めたので正確に言うと42年間、ずーっとずーっと、同じ山に登り続けているんだと思っている。まぁ、山に毎年登ってはご来光を仰いで手を合わせて来た感じかなぁ〜。こっちの精神が研ぎ澄まされていきます。

TBC(東北放送)子どもアトリエ

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これは年末のパーティー、いまなら「楽々パーティー」って感じだね。ここで育った子どもが大人になり、今度は親になって子どもを通わせているのよ。ありがたいなぁ〜。

TBC(東北放送)子どもアトリエ

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ほら、サマーキャンプだって全く同じ感じでしょ。このときはオニコウベかなぁ〜。

TBC(東北放送)子どもアトリエ

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ほぼ40年前の写真だけど、今と全く同じような感じだね。TBC子どもアトリエは古川教室とか塩釜教室・泉ヶ丘教室・南小泉教室とかもあったから会員は600名近くいたと思うよ。

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